私のくだらない【生い立ち】にお付き合い下さっている貴方様、
ありがとうございます。 そろそろ疲れていませんか?
こんな感じでダラダラと続きますが、適当な所でやめてくださって結構ですよ。
またお時間のある時、暇を持て余した時に「ひまつぶしにチョット読んでやるか」
ぐらいのお気持ちを頂ければ幸せです。
では [ 第4話 ] に入ります。
生まれて初めて怖い母を目の前にしました。
「説明しなさい」と、穏やかな声で言う母に、どう説明すれば良いのか分からず、
やぶれかぶれに「漫画家になりたいけぇ学校止めたっ! !」
「まんがか? なんかねそれは!?」と、首を傾げる母。
それもそのはず、当時 (今から40年も前の話ですから) は漫画家なる仕事は世間的に
全く認知されていませんでしたから。
私も漫画を描いている所を親に見せた事も、話した事もありませんでしたから
当然の反応です。
「漫画を描いてその原稿料で生活したいんじゃぁね!」と、私。
「あんたぁバカかね! 何処の世界にそんな商売があるもんかねっ!
第一、漫画を描いてお金が貰える・・なんちゅう話は聞いたもないがねっ! !
馬鹿な事言うとらんで学校に行きなさいっ! !」と、呆れ顔の母。
(そんな馬鹿げた会話が・・・と、お思いでしょうが当時の時代では真剣な会話なんです。)
私としてはここで負ける訳には行きません、漫画家がどういう仕事をするのか
夕方までかけて説明をしました。
物語を考え、せりふを考え、コマを割って、絵を描いて、漫画が成立する事を説明。
その原稿を出版社が買ってくれる、それが原稿料になる。
つまりサラリーマンの給料と同じ事だと説明。
しかし母にとっては [ 漫画 = 落書き・イタズラ書き ] と言う感覚でしかなく、
それが [ お金 ] になる事がどうしても納得出来ないようで、理解してもらうのに
3日かかりました。
翌日、香川県の現場から帰って来た父にはいきなりビンタを食らいました。
これが生涯2度目の父からのビンタ・・・今でもあの時の痛さは覚えています。
学校から連絡があり、保証人の(はんこ)がないと認められないとの事。
そうでした! 入学の際、保証人が必要だったのですから、当然退学のときにも
保証人の(はんこ)は必要ですよね。
さあ〜て・・・本当に大変なのはここからでした。
保証人になってくれていた叔父はとんでもない頑固者で有名でした。
この叔父を説得するのに3日間、朝から家に行き事情を説明・・・昼になると
「親不孝な奴に食わせる飯はない、1時間後にまた来い!」と、いうのです。
1時間後に叔父宅に行き、それからまた夕方まで説明・・・同じ事を何度も繰り返し、
繰り返し説明する・・・。
晩飯時も1時間後に来い、と・・・夜も10時頃まで説明の繰り返し・・・。
2日目も説明の繰り返し・・・叔父は「ふんふん・・ほお〜っ・・それで?」を
繰り返すだけ。(いつもの手です!)
叔父の考えは解っていたので、こうなれば根比べです! !
自分の考えや夢を、漫画のことを喋りたい放題しゃべりまくりました。
3日目も [ 16歳の夢話 ] を喋りまくり続けました。
同じ事を繰り返し、繰り返し・・・の根比べです!
「晩飯を食ってこい!」の時間になり、「飯食ったらしゃべり倒してやる!」と、
意気込んで家に帰ると母が
「叔父さんが退学届けを持って来いって言うちょるよ」
「ほんまにっ!?」と、母に聞き直し、叔父の家に走って引き返し台所に突入! !
「食べ終わるまで待っとけ!」と、叔父。
「はいっ! !」と、返事する笑顔満面の自分が見えるようでした。
叫びたい気分でした。
だって今この瞬間から、自分の夢がスタートするんですから! !
食事が終わるのを待って(はんこ)をもらい飛び出して大声で叫んでいました。
今日、たった今から【漫画家への夢】に向かって突っ走るぞぉっ! !
・・・と、意気込んで家に帰ると・・・父が・・・!?
「うっそだろぉ〜〜〜っ!?」「そりゃないよぉ、父さ〜〜〜んっ! !」
第4話 「説得」 第5話につづく。